パチンコ 動画の興味深さ!
当時、その店では毎月の晦日が給料日になっていた。
6月は最後の1日を除いて働いていたのだから、あたり前私には6月分の給料をもらう権利があるはずである。
そういう事情があったので、晦日の30日には、私はもう店に顔を出すことはなかったのだ。
結局、その最後の給料をもらうことなく退職してしまったのだが、あれから50年以上を隔てた今でも、ときどき、あの金はどうなったのだろうと思うことがある。
当時の丁稚の給料などたかが知れているはずなのに、人間というのは、おかしなものである。
それだけ私かケチだということでもあるのだろうが。
手前右の帽子をかぶっているのが、丁稚時代の私である(16歳頃)。
頭髪にポマードをつけているため、埃がかかるのを嫌って、室内でも帽子をかぶっていたのだった。
この写真ではわかりにくいが、インクで汚れないよう、腕にはテッコをつけている。
こうして、昭和27年7月1日をもって、私は歯科材料販売という、それまでまったく未知だった業界で働くことになった。
この日が、半世紀以上も経った今も続く私の「天職」の始まりの目となったわけだった。
高円寺の煎餅屋と同じで、ここでも私は住み込みの丁稚だったから、前日の6月30日に行商を担いで日本橋茅場町のH歯科商店までやってきたことは、さっき書いたとおりである。
私か入った頃のH歯科商店には、住み込みの丁稚小僧が私を入れて3人、ほかにも通いで2人ほど丁稚がいた。
顧客も都心の立派な歯科医院ばかりだったから、歯科商店としては、しっかりしたほうだったと言えるだろう。
戦後の混乱期がそろそろ終息期を迎える頃だったが、あの時代のどんな商家でもそうだったように、店はまだバラックのような粗末な建物で営業を続けていた。
その狭い家で、主人の家族と丁稚たちが一緒に暮らすのである。
主人夫婦には3人の子供がいたから、その家族5人のほか、私を含めた丁稚3人の計八人が、その粗末な店舗の中にひしめいて生活していたのだった。
とは言うものの、21世紀の今となっては、「丁稚って、いったいなんのこと?………」と思っておられる若い方も少なくないのではないだろうか。
ある程度の年齢の人間には常識のことであっても、今の若い人はまったく知らないという事柄は、世間には以外に多いものである。
実際、どこかの商家とか職人の家で「丁稚さん」とか「小僧さん」と呼ばれる使用人が働いていたことを覚えているという人は、おそらく、どんなに若くても50代半ばは過ぎた人だろう(関西では「丁稚」、関東では「小僧」というのが普通だったということだが、私たちはどちらも使っていた)。
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